ホイッスルの音を合図に誠凛高校バスケ部は休憩時間に入った。コートの外に出て思い思い休みを取る部員たちの視線は、しかし揃って今は見えない扉の向こうに注がれている。

「……他校生、だったよなあ」
「アイツ絡みで全然そんな話聞かなかったから、油断してたわ……」
「ただのバスケバカだと思ってたけど、意外とちゃっかりしてんなあ」
「なんだろ、この妙な敗北感……」

 それぞれに感想をこぼしているのは、彼らの誇る一年生エースと、彼を訪ねてきた見知らぬ女子についてである。一人遅れて外周から帰ってきた裏エースが校門で出会ったという彼女は、この辺りでは見かけない制服を着ていた。緊張を貼りつけたまだあどけなさの残る表情から察するに一年生だろう。来訪者の姿を見かけるなり、名前を呼んで駆けだしたエースの反応から、なかなかに親しい間柄であることがうかがえた。

「ほんとうに知り合いなのか? 知人を装った偵察ってこともあるかもしれないぞ」
「木吉、おまえ……笑顔で不穏なこと言ってんじゃねえよ」
「あの子は『きょうだいみたいな間柄だった』って言ってたんだろ、黒子?」

 伊月から話題を振られ、表情の変化に乏しい少年はまじめな顔でうなずいた。

「火神くんのダンクを見てうれしそうに名前を口にしていたので赤の他人ということはないと思います……もっとも、それ以外に関係があるのかどうかはわかりませんが」

 含みを持たせた言い方に、部員の目が光る。
 彼らの興味は、結局のところ、謎の少女が火神の彼女が否かというところに集中しているのだった。



*****





 三年ぶりに顔を合わせる火神くんは、記憶にある姿よりもずっと成長していた。
 氷室くんと再会したときにも驚いたけれど、見上げる角度が昔とぜんぜん違う。改めて男子の成長速度はすごいものだと実感した。
 とはいえ、変わっているのは体格くらいで、火神くん自身はわたしのよく知る朗らかな男の子のままだった。
 数年ぶりに会う緊張感はすぐに解け、アメリカの同級生の話や日本での暮らしについて等々、話題は途切れない。
 けれど、その中には、不自然なくらい氷室くんの名前は出てこなかった。
 ――わたしは二人の間にあったことを知らない。彼らのかたちがもう昔のままではないことだけはわかっているけれど、それだけだ。氷室くんは、はっきりとは言わないけれど、弟分のことを話題にされるのをいやがっている節がある。火神くんも、話題の流れを聞いている限り、同様に思っているのだろう。
 彼らが話そうとしないことを、わたしが無理に聞き出すことはできない。いつか二人が教えてくれると信じているけれど、それまではひたすら待ちの時間だ。

 ただ、ひとつだけ。今日、火神くんに聞いておきたいことがある。

「……そういえば、って今どこにいるんだ? その制服、この辺じゃないよな」

 ふと思い出したというような口調で火神くんが切り出した一言に、わたしは一瞬口をつぐんだ。
 これを言えば、彼はきっと気づくだろう――わたしと氷室くんが同じ学校にいることに。

「……秋田だよ。陽泉高校に通ってるの」
「陽泉……って、もしかして」

 目を見開いた火神くんにうなずいてみせる。その瞳に嫌悪や拒絶の色がないことに、内心ほっとした。

「わたしはバスケ部じゃないけど、一つ上の学年に、氷室くんがいる。紫原くんのことも知ってるよ。あ、ただね、ひとつお断りしたいのだけれど、」

 ちらっと目を落とした時計の針が、タイムアップが近いことを教えてくれる。体育館の門扉に預けていた体を起こし、火神くんの正面に回り込んで、高いところにあるほむらの色を見上げた。

「今日ここに来たのは、わたし自身の意志。氷室くんもバスケ部も関係ない。火神くんの友人として、あなたに聞きたいことがあったの」

 火神くんはきょとんとして小さく首を傾げる。その小動物めいた仕草と大きな体躯がふしぎとマッチしていて、口元には自然と笑みが浮かんだ。

「あのね、火神くん――バスケは、好き?」

 何度かぱちぱちと睫毛を合わせてから、火神くんはニィッと口角をあげた。「あたりまえだ!」と紡がれた言葉は力強く、それが彼の本心なのだとよくわかる。
 その答えは、わたしの胸を柔らかな熱で満たしていった。
 東京へ出てきて、彼に会えてよかったと心底思う。
 火神くんの言葉は、わたしにとある決心をさせるのに十分な力を持っていた。





 もう一度時計を見ると、いよいよ帰りの時間が迫っている。駅へ帰る旨を告げると、火神くんと、体育館まで案内してくれた空色の男の子こと黒子くんが、二人で校門まで送ると言ってついてきてくれた。黒子くんは火神くんがコンビを組んでいる相手で、さらに紫原の中学校の同級生でもあるらしい。そういえば、誠凛高校の名前を教えてくれたのは紫原くんだった。きっと黒子くんの進学先だったから知っていたのだろう。黒子くんと、共通の友人とお菓子にまつわる話に花を咲かせながら、彼へのおみやげは余分に買っていこうと決意した。

「それじゃあ、火神くん、黒子くん。今日は部活中に突然失礼しました、本当にありがとう」
「いいって! 俺らも、に会えてうれしかったぜ。またこっち来たら連絡くれよな」
「秋田まで道中お気をつけて。紫原くんと氷室さんにもよろしくお伝えください」

 二人と挨拶を交わして、体の向きを変える。
 校門の敷居をまたいで数歩踏み出し――ふと思い立って、足を止めて振り返った。火神くんと黒子くんは急に立ち止まったわたしに驚いたらしく、色鮮やかな目をそろって見開いている。

「今決めたことなんだけど――わたし、帰ったら、バスケ部にマネージャーとして入部する。次会うときは、きっと別々のベンチの上になるわ。……そのときは、よろしくね」

 二人はしばし、わたしの言葉を咀嚼するかのように瞬きを繰り返した。顔を見合わせたあと、再びこちらを向いた2対の瞳には闘志の炎がともっている。その色が似ていると感じたのは、二人が相棒だと知っているからだろうか。

「――おう、楽しみにしてる」

 火神くんがすっと右手を掲げた。意図を察してわたしも彼の元へ駆け寄る。
 一回り以上も大きさの違う二つのてのひらが打ち合わされ、パンッと小気味いい音を立てた。



*****





 そして、週が明け――東京某校の一年生エースに彼女ができたという噂がバスケ部員の間でまことしやかにささやかれ始めたのと時を同じくして、陽泉高校バスケ部に一人の少女が名を連ねることとなる。





わたしもう一人の兄










ヒロインが入部に至るまで。
ここまでが本当の意味でのプロローグともいいます。妹分のバスケ部ライフ、本格スタートです。

2014.02.18 夏月