「そういうときは、実は横にいる、って言いますよね」 いつもの涼しい笑顔で氷室が言う。集まっていたチームメイトたちは、きょとんと目を丸くした。 陽泉高校男子寮の一室。部屋の主である青年は、にこにことしたまま視線の中心にいる。ホラードラマの話題に応じるには、ずいぶんとミスマッチなさわやかな表情だった。 ドラマの話は、雑談の一部にすぎない。普段は聞き役に回ることの多い氷室が、この話題に積極的に乗ってくるとは。空いた沈黙は、彼らの驚きを如実に表していた。 しかも、よくよく振り返ると、彼の発言はぞっとしない内容だ。話題になっていたのは、妙な気配を感じていたヒロインが、振り返って無人を確認し、胸をなで下ろすというシーンだったのだが、緊張から解放されるはずの場面にとんだ爆弾を投下された気分である。 「……何お前、怪談得意だったりすんのか?」 福井に訝り顔で尋ねられ、氷室は肩を竦めて返す。気障な仕草が様になっているのは、さすがは帰国子女と言ったところだろう。 「いえ、特別得意というわけでは……向こうでも日本の怖い話の本を読んだことがあって、知ってただけです」 というか、こっちでホラーはポピュラーなジャンルだと聞いていたので、皆そういう話には慣れてると思ったんですが。 後半の台詞は、青くなっているチームメイトを見やって放たれた言葉だった。 福井と紫原は頬をひきつらせているし、岡村の顔からは血の気が引いている。劉の表情は読めないが、無言で明後日の方を向いている辺り、あまり得意な話題ではないのだろう。 そして、この場の紅一点、マネージャーのに至っては、青を通り越して白くなった肌色のまま、目を見開き凍り付いていた。 どうやら、陽泉バスケ部にはホラーが得意な生徒はいなかったらしい。申し訳ないことをしたなと思う反面、平均身長を大幅に超える彼らが怪談を怖がる光景は、どこか微笑ましかった。 「何だかすみません。でも、いくつか持ちネタはあるので、もし使えそうな場面があったら声かけてくださいね」 ――夏の合宿で肝試しが恒例になっていることは、教えないでおこう。 眉尻を下げて微笑む氷室を見て、幹部陣がそんな決意をしたことを、彼は知らない。 気を取り直すように、バスケの話に花を咲かせた高校生たちの団欒は、消灯時刻ぎりぎりまで続いた。 飲み食いしたものを片づけて、男子部員がぞろぞろと氷室の部屋を後にする。ちゃんと女子寮まで送ってやれよ、という福井の忠告に了解を返して彼らを見送ると、室内には氷室との二人だけが残された。 ベッドの端に腰掛けた彼女の体が、妙に強ばっている。うつむく彼女を見下ろして、氷室は小首を傾げた。 「……、どうかした?」 隣に座って、のぞき込む。そろりと氷室の方を見やった彼女の顔は、どこか緊張気味だった。 高校の部活のチームメイトである前に、はアメリカ時代の氷室の妹分である。唇を引き結んだその表情が何を示しているのかは、すぐにわかった。 「……皆がいなくなると、なんだか、しんとするよね?」 試すような物言いになったのは、兄のおちゃめな遊び心だ。含みのある声音に、の頬にさっと朱が差した。 「氷室君のバカ! 怖い言い方しないでよ!」 やだやだと赤い顔を振りながら、は遠慮なく氷室の背を叩く。小さな手のひらでの精一杯の抵抗を受け止める、彼の口角が上がった。 笑い事じゃない、と憤慨する少女の表情は、普段の学校生活ではお目にかかれない幼さを孕んでいる。 小さな独占欲が満たされた氷室が、降参とばかりに両手を上げた。 「ごめんごめん。、今でも怖い話はだめなんだね」 「……知ってるくせに、氷室君の意地悪」 「ふふ、そういえば、はグースバンプスを心底怖がってたっけ」 氷室の口にした名詞に、が顔をしかめた。 グースバンプスとは、アメリカで放映されている有名な子供向けホラードラマのタイトルだ。氷室がエンターテイメントとして楽しんでいたそれを、幼い時分の妹分は随分と怖がっていた。 からかわれていることが不満なのか、は昔と変わらないむくれ顔を見せる。唇を尖らせる彼女に視線を合わせ、氷室は「悪かったって」と繰り返した。 「そんなに怯えるなよ。さっきの話にはおかしな人形もミイラの心臓も出てこないだろ?」 「怖いものが出てこないから怖くない、なんてことはないの! むしろ、具体的なものが出てこない分、日本的でぞっとしたんだから!」 「ふうん……、洋風も和風もだめなんだね、ホラー」 声に滲んだ面白がるような色を敏感に感じ取ってか、は氷室を睨め上げた。その上目遣いが彼の庇護欲と悪戯心をかき立てるだけのものだと、本人はまったく気づいていない。 氷室はそっとの肩を抱き寄せ、耳元に唇を近づけた。 「……一人で、寮に帰って、眠れる?」 鼓膜を打った囁きに、は口をぱくぱく開閉させた。 青くなり、赤くなり、小さく震える彼女を見下ろして、氷室が満足げに笑む。 「……っ、ひ、氷室くん――!!」 の叫びが、夜の寮内に木霊した。 「……なあ、あいつ等まだやってんの」 頬杖をついて、気だるく福井が吐き出す。 先ほどまで氷室の部屋に屯していた一同は、戻ったはずの自室を出て、廊下の共有スペースに避難していた。部屋の外にいても微かに聞こえるマネージャーとエースの声は、今の彼らにとって頭痛の種でしかない。 岡村は苦笑し、劉はため息をつき、紫原は眉根を寄せてまいう棒を咀嚼していた。 「騒いでるのが壁越しに丸聞こえで、おちおち休んでられないアル」 「かといって、ワシらが入っていったら、が余計にパニックを起こしそうだしのぅ」 「ほんと迷惑なバカップルだよね〜、室ちんとちん。自覚ないところが余計質悪ぃし」 困ったものだと言わんばかりに顔をしかめる紫原に、突っ込みを入れるものはいない。あまりに指摘が的確で、彼自身の問題児ぶりの棚上げを批判できなかったのだ。 「……いっそ、本当に付き合ってるなら、もっとばしっと言ってやれるんだけどな。面倒くさい兄妹分だぜ、全く」 やれやれと息をついた福井に、三人は曖昧に首肯する。 彼らが、ようやく女子寮に向けて出発した二人と遭遇したのは、それから 30分後のことだった。
タイトル詐欺の感がある突発短編。ちなみに、Goose Bumpsというアメリカの番組は実在します。今も放送しているのだろうか。 Twitterのなりきりアカウントさんで氷室君が怖い話をするツイートを見て、実際に眠れなくなってしまったので、ヒロインに抗議してもらいました。 時系列が色々とめちゃくちゃですが、勢いだけで書いたのでお目こぼしください。氷室君と妹分ちゃんのお話は、機会があったらまた書きたいです。 2013.08.04 夏月 |