ばったり出会ったのは研究所の入り口で、帰省先が駅二つ違うだけの近所だということを知ったのは特急を待つホームでだった。
「えっ、不破室長って桜上水中だったんですか」
 電車の中で思わず素っ頓狂な声を上げたわたしを、先生は瞬き少なに見つめ返して首を傾げた。「学区がそこだったからだが、何か驚くことがあるか?」
「いえ、そういうわけでは、すいません」
 反射的に口にすると、今度は「謝られる覚えはないが」と追撃が飛んでくる。不破室長でなければ冷たく突き放されたと思うところだが、彼に関していえばこれが平常なのだと聞いていたのもあって、動揺は最小限で済んでいる。
 ちなみにこのことを愚痴交じりに教えてくれたのは、わたしの大学の先輩で、今はお隣の不破研究室のナンバー2として手腕を振るう人である。三白眼を細めて語る彼の口調は粗雑だが、その言葉は一度も不破室長を貶すことはなかったことが印象的だった――閑話休題。
 当の不破室長は、今も小首を傾げたまま私を見下ろしている。
「ええと。わたし、中高と武蔵森だったんです。中学に入学したときには高等部に水野選手や藤代選手が在学中で、桜上水中はライバルだってサッカー部からよく名前を聞いていて」
 だから、そこに不破室長が通っていたって聞いて、びっくりしちゃって。
 素直に明かすと、彼は顎に手を当てがって、ふむ、と相槌を打った。納得してくれたかと思いきや、「君が武蔵森に通っていたとして、なぜ俺が桜上水の生徒だったことに対して驚く理由になるんだ」疑問は一つも解決していなかったらしい。
 いやな予感がした。具体的には、自分が感じていることを逐一言葉にせねばならない事態になるのでは、と。
「……予想だにしなかった人と生活圏が被っていた、と偶然知ったら、多くの人は驚くのでは、ないかと」
「ああ、そういうことか」
 しどろもどろ、告げたわたしの言葉に、不破室長はあっさりと頷いた。疑問が解消して満足を得られたのか、貫くような視線はわたしから外される。
 そのことに安堵した反面、今までべらべらとしゃべっていた自分の来歴やら何やらが、まったくの蛇足だと証明されてしまったようで恥ずかしい。
「……しかし、そうか。水野や藤代の後輩なのか。それは確かに、驚く余地がある」
 目線を落としたわたしの後頭部に、室長の声が降ってくる。思わず顔を上げると、彼は上方を見やり思案を巡らせているようだった。「こんなところであいつらの後輩に出会うとは、なるほど考えていなかった。俺も思考が狭かったな」
 先輩に伝え聞いた室長の人となりの通りなら、彼の言葉はわたしへの慰めなどではなく、本心からの言葉だろう。奇抜な理論人間と別の研究室にまで噂が届く、別次元の住人とも感じていた人が、同じ地上に降りてきたように感じて、単純なわたしの気分はあっさりと浮上した。
 ――浮上した勢いで言葉を重ねてしまうのが、凡庸な自分の悪癖である。
「確か、水野選手も桜上水中でしたよね。室長と通学期間は被っていたんですか」
「被っていたというか、同級生だ。風祭の言い方をまねればチームメイトでもある」
「チームメイト……? 不破室長、サッカー部だったんですか」
「それからアンダー19まで一緒だったな」
「に、日本代表ですか!?」
 ぎょっとして思わず声が大きくなる。天井付近をさまよっていた室長の視線が再びわたしのもとに戻ってきた。「……だから、なぜ、そうも驚く」
 なぜ、と問われましても。
 語彙がすっかり吹き飛んでしまったわたしはぱくぱくと口を開閉させるばかりで、室長はそんなわたしをみてますます深く首を傾げた。
 誰も助け船を出してくれない、年末の特急電車の中で、奇妙な沈黙に頭まで浸かっている。だけど、きっと窒息しそうになっているのはわたしだけなのだろう。
 先輩たすけて、と心の中で唱えても、自転車で実家まで走って行ってしまった彼に届くはずもない。わたしと不破室長の、ベクトルのずれた交流は、電車が終点の東京へたどり着くまで続くのだった。

 なお、年が明けて、卒業から10年以上経った母校を訪れた際、校庭に『彼』とよく似た顔を見つけてまたも仰天することになるのだが、それはまた別のお話だ。

 
 
 



きみが見たタウマゼイン





今年はホイッスル!をめぐる環境が大きく変わった年でした。原画展楽しかったです。
ホイッスルWの今後も楽しみにしています。不破くん誕生日おめでとう。

2016.12.31 夏月