ある日、金色の髪をした王子さまが住む小惑星に、一輪のバラが咲きました。
 彼女はとても美しく、香しい花でした。
 バラの花は、小惑星の主である王子さまに好意を抱きました。
 けれど、虚栄心が強く、素直でない性格の彼女は、わがままを言って王子さまを困らせてばかり。
 遂にバラとの暮らしに疲れてしまった王子さまは、故郷を発ってしまいます。
 旅立つ彼に、バラは最後の告白をしました。
 あなたのことを愛している、愚かなわたしを許してほしい。
 どうか幸せになって、と祈りを寄せて、彼女は王子様の背中を見送りました。
 バラは、小惑星にひとりきりになりました。
 それでも彼女は咲き続けました。
 王子さまにもらったガラスの鉢を脇に置き、四本のトゲを堂々とかざして。
 長い旅を終えた王子さまが、地球から箱入りのヒツジを連れて帰ってくるその日まで、バラは美しい花弁を広げていました。







 黒子くんのこと、星の王子さまみたいだと思ってたんだ。

 言葉がポツリと二人の間に落ちた。
 壁際の小さなテーブル、それを挟んで座る黒子くんとわたし。
 かつての同級生たちの織り成す騒ぎが、ずいぶんと遠い。この席だけ、見えない膜で蔽われているみたいだった。
 記憶にあるより幾分大人びたみずいろが、不思議そうにわたしを見つめる。
 図書委員会の新聞、と付け足すと、彼もそれに思い至ったようだった。頷いた拍子に、柔らかそうな髪の毛が揺れた。
 五年前、黒子くんと二人で書いた、とある絵本の特集記事。著作と関連書籍を積み上げた準備室は、わたしたちの秘密基地だった。
 口の端を上げ、「似ているでしょうか」と頬を掻く。あの頃と比べて、黒子くんの感情表現は豊かになった。

 五年の歳月は、確かにわたしたちの上に降り注いでいる。

 答えの代わりに微笑んで見せた。口にしたアルコールが、少しだけ、苦い。







 小惑星B612から来ましたと黒子くんに言われたら、きっと納得してしまう。わたしにとって、彼はそういう人だった。誰だって、沙漠で金の髪の少年にヒツジの絵をねだられたら、忘れられるはずがない。黒子くんにはそんな存在感があった。すれ違っていたら気づくはずもない、けれど出会ってしまったら心をとらえて離さない。わたしはあっという間に、彼の不思議な魅力の虜になった。



 彼だけのバラになりたいと思っていた。



 わたしが憧れた、みずいろの王子さま。
 彼の小惑星は、体育館の中にあった。小さな星の上で、絆を作ったキツネたちと一緒に夕日色のボールを追いかける。凪いだ湖面のような王子さまの眼は、そこにいる間だけ、見たこともない輝きを放った。

 彼のバラは、彼の星の上にしか咲かない。
 いつかたどり着きたいと思っていた小惑星は、わたしの足には遠すぎた。

 恋に満たない淡い想いが、泡になる音を聞いていた。
 例えてみるなら、わたしは地上の庭園に植えられた5000のバラの一本だった。
 庭園いっぱいに咲くバラは、景色の一部。その一本が王子さまの特別になりたいと願ったとて、彼の耳には届かない。


 彼だけのバラになりたいと、思っていた。
 ちくり、ちくり。小さなトゲが胸を刺す。







 ほどなくして、黒子くんはバスケ部の同級生たちに呼ばれ、テーブルを離れた。

 わたしは一人残ってグラスを傾けている。
 そういえば、彼の連絡先も知らないままだ。
 声をかけに行こうか。ちらりと考えて、すぐに首を横に振る。
 これでいい。わたしと彼は、ほんの一瞬交わって、すれ違っただけ。庭園のバラは地上の誰かのために咲き、王子さまは小惑星で彼のバラと共に過ごす。それが物語の正しい結末なのだろう。
 グラスの中身を飲み干す。のどを滑り落ちる熱い液体が、ノスタルジーを遠ざけた。



 エンドマークだ。わたしはきっと、自分の絵本を閉じるためにここにきた。



 見えない膜のはじけた世界では、かつての同級生の笑い声が店内を満たしていた。誠凛高校第二期生の同窓会は、盛り上がりのさなかにある。振り返り、ふと目に入った旧知の顔に向け、わたしは笑顔で手を振った。









オールド・ローズの独白





黒子くんと本の話
企画「ふたりの庭」様に提出させていただきました。素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました。
参考文献:サンテグジュペリ 池澤夏樹訳(2005)『星の王子さま』 集英社

2013.08.18 夏月