今泉俊輔は呆れはて、小野田坂道はうろたえて、杉元照文は苦笑いを浮かべ、
 鳴子章吉は青ざめていた。

「あ、あっあの、鳴子くん……」
「ほっとけ小野田、今の今まで全く気づかなかったこいつが悪い」
「いやあ、まさかね、さすがの僕もこの状況は予想がつかなかったね」

 いつもならかみつくだろう今泉の言葉にも無反応のまま、鳴子はせわしなく視線を左右に散らす。動揺がありありと浮かんだその様子は、常の彼にはみられないものだった。

 ホワイトデー。一月前の戦いで勝者となった男子が頭を悩ませる、3倍返しの日。
 鳴子が、今日がその日であることに気づいたのは、チームメイトに話題を振られたほんの数分前のことだった。

 派手な色の頭の中で、焦りと計算が渦を巻く。だが、存在から意識に上らなかったイベント日に、どう行動することが正解なのか思いつくはずもない。
 はあ、と聞こえた深いため息は、長身の同級生のものだった。

「とにかく、俺たちはさんにお返しを渡してくる。おまえがどうするつもりか知ったことじゃないが、動くならとっとと始めたほうがいいんじゃないのか」

 その言葉に鳴子がはっと顔を上げる。言った本人はこちらに背を向けて制服に着替えており、表情は伺えない。

「隣駅のデパートまで、ロードならそんなに時間もかからないよ。鳴子くんなら大丈夫!」
「地下のお菓子売場に特設コーナーができていたはずだからね、そこでならちょうどいいのが見つかるんじゃないかな」

 小野田と杉元が力強く頷いて背中を押す。鳴子の口元にようやく笑みが浮かび、大きな目にギラリと意志の光がともった。

「おおきにな……おかげで目ェ覚めた気するわ」

 脱ぎかけだったウェアから制服へ、手早く衣装を変える。鞄を見もせずにひっつかみ、鳴子は弾丸のごとく部室を飛び出した。その背を見送った三人の間に呆れと安堵の混ざった笑いが起こり、部活後の穏やかな空気が戻ってくる。

「……あれれ? これは、誰、の」

 ――だが、それは、杉元の手の中にあるものが何かを彼らが認識したとき、鳴子を呼ぶ大声と共にあっけなく潰えるのだった。



*****




 教室のドアを開けると、中にいた女子が顔を上げ、こちらを認めて相好を崩した。

「手嶋くん、青八木くん。お疲れさまだね」
「サンキュ、もお疲れ」

 声をかける手嶋の隣で、青八木が片手をあげる。彼女はノートの上を走らせていたペンを置き、席を立って二人の元に近づいてきた。
 メールで言ったやつ、との前置きに続き、少女の眼前にそれぞれ紙袋を差し出す。笑顔でそれらを受け取った唇から感嘆の声がこぼれた。

「ハッピーホワイトデー、とでも言うべきか。バレンタイン、俺たちにもくれてありがとな」
「チョコうまかった。ありがとう、

 手嶋と青八木が口々に礼を言うと、は小さくはにかんだ。もらえると思ってなかった、と照れた様子を見せる彼女に、目を細めた手嶋がからかい混じりの声をかける。

「なに言ってんだよ、には本命の当てがあるだろ」
「……はは、うーん、そうだね」

 歯切れの悪いの返答に二人はそろって目を丸くする。「もらってないのか、鳴子に」と青八木が思わずこぼしたつぶやきを耳にして、彼女は苦笑を浮かべた。

「たぶん、今日が何の日かとか、考えてないと思うんだ……今朝も一緒だったけど、そんな話題は出なかったし」

 その場に降りた沈黙は、二人仲良く言葉を失ったことによる。

 ――なにやってんだよ、鳴子!!

 本来は関西人の鳴子の領分であるが、今回ばかりは彼に預けられない。手嶋と青八木は、そろって心の中でつっこんだ。



*****




 真っ赤なピナレロが駐輪場で停止する。力ないブレーキ音は、持ち主の精神状態をそのまま表したものでもあった。
 どれだけ速く道を駆けたところで、部室に財布を置き忘れたままでは、いい品を見つけても購入することはできない。彼女との待ち合わせ時間まであまり余裕はなく、鳴子の悪あがきは収穫ゼロのまま終わってしまった。

(こんなん、カレシ失格や)

 バレンタインの贈り物をもらうだけもらっておいて何もお返ししないというのは、不誠実な行為だと、恋愛に明るくない鳴子にもわかる。は、ホワイトデーを忘れていたからと言って感情的になるタイプではないが、怒られなければいいというものでもない。
 しかし、立派な意見を述べたところで、鳴子は事実手ぶらである。こうなったら、心から謝って埋め合わせの約束を取り付けるしかなかった。

 の待つ教室の扉を開くと、彼女はいくつかのラッピングバッグに囲まれていた。まっすぐこちらに笑顔を向ける少女の姿に、胸が鳴る。

「鳴子くん、部活お疲れさま」
「おん。……なんや、今日はお客さんぎょうさん来よったみたいやな」

 机に並んだ袋の中には、先ほど部室で目にしたものもある。不在の間に部活の同級生が彼女を訪ねていたらしい。
 本来なら、このプレゼントの最後に、自分からのとっておきが加わるべきなのだ。鳴子は苦い思いを噛みしめながら、避けて通れない詫び言を口にした。

 だが、返ってきたの言葉は、「いいよ、大丈夫」というあっけらかんとしたものだった。

 ぽかんと口を開けた鳴子を見上げて、彼女は市民レースの名前を口にする。それは週末に鳴子が参加予定のもので、彼の意識からホワイトデーをはじき出した大きな要因の一つだった。

「もう近いし、集中してたんだよね。わかってるから、あんまり気にしないで。別に、お礼目的でバレンタイン贈ったわけじゃないし」
「せやけど、これをうやむやにしたら男のコケンに関わるわ。帰りになってまうけど、途中でプレゼント買うて……」
「でも、自転車整備でお金がないって、つい今朝言ってたじゃない」

 ぐ、と言葉に詰まる。余計なことを言った今朝の自分を殴りたい。すっかり困ってしまって、穏やかな表情でたたずむに何か欲しいものはないか尋ねると、彼女は指を口元にあててしばし考え込んでから「じゃあ、」と悪戯っぽく口角を吊り上げた。

「自転車以外に浮気しないでくれたら、それで」

 ぽかん、と口が開く。せりあがる熱が肌を染め上げる。髪色に負けない鮮やかな赤で顔を火照らせた鳴子を見ては声を立てて笑った。
 そんな彼女の耳の先にも朱が差していることに気づく者が果たしてあったかどうか、その先は彼らのみぞ知るところである。





プレゼントはシグナルレッドで





うっかり鳴子くんとホワイトデー。
総北信号機はロードのこととなるとほかが見えなくなるくらいの夢中ぶりが可愛いと思います。

2014.03.14 夏月