その日、月が出てからしばらくして帰ってきた弟は、えらく不機嫌なオーラを発していた。
お帰り、と声をかけても生返事で、運動靴を脱ぎ散らかして自室へとまっすぐ消えていく。何か嫌なことでもあったのだろうか。

(……明日は、3対3の試合のはずだけど)

一緒に練習しているという同級生とトラブルでも起きたのか。受験期はなりを潜めていたあの荒れ方は、去年の県予選後を彷彿とさせる。
暫くして、着替えた飛雄が脱いだジャージを抱えて洗面所までやってきた。私はその手から洗濯物を取り上げる。

「やっておくから、早くご飯食べてきな。おなか一杯になれば少しは気も休まるでしょ」
「……は?」
「大丈夫、明日の朝にはちゃんと乾くようにするから。ほら、ご飯冷めちゃうよ」
「……姉貴がいきなり優しくて気味悪い……」
「言うに事欠いて気味悪いと来たか」

弟が顔を引き攣らせて一歩後ずさる。本当に私の態度に違和感があるらしい。なんだか腹が立って少し横目でにらみあげると、私が機嫌を損ねたのを察知したのか、飛雄は首をすくめてわざとらしくダイニングに走っていく。
私はため息を一つ落として、汗で湿ったジャージを手に洗濯機のふたを開けた。
明日の3対3は体育館入館許可をかけた大事な試合で、負ければセッターとしての部活参加はさせてもらえない、と清水には聞いている。澤村君にもこの間「条件を付けるような形になってごめんな」と謝られてしまった。私は彼が謝る必要は少しもない、というか寧ろうちの我儘大王が本当すいません、とこちらの方が謝らなければならないのではと感じているのだけど……とにかく、そんなこともあって、明日が弟にとって重要だということはわかっているつもりだ。
だからこそ何か協力できることはないか、と思って申し出てみればこの反応である。なんだか釈然としないけれど、今日は帰ってきたときもかなりむすっとしていたし、何か理由があるのかもしれない。ここは年長者らしい懐の広さを見せるべきだろう。
そんなことを考えながら、洗濯機のスイッチを押す。ごうんごうんと音を立てて回り始めたそれを見るとはなしに見ながら、私は壁に背を預けた。



弟が“コート上の王様”と呼ばれるほどの横暴さで、中学バレー部の仲間から爪弾きにされていたことは知っている。
本人はそれで引き下がるような性格ではなく、むしろ対抗するかのごとく頑ななまでに結果を出すことに拘った。
そしてその結果、最後にはコートに立つことすら叶わず、彼の中学でのバレーボール人生は幕を閉じたのだ。
その姿を、間近で見ていた。
だから、どうか高校ではもう一度バレーらしいバレーができますように、と。
目の届くところに弟が進学すると決まった時には、その願いが叶うかもしれない、という期待と、もしまだ駄目だったら、という不安がないまぜになって複雑な思いを抱いたものだった。

(この試合がうまく行ったら、きっと)

澤村君や菅原君とは知り合って数日だけど、清水に聞いていた通り大らかで優しい人たちだし、飛雄のことも仲間として受け入れてくれるだろう。
そうしたら、弟はバレー人生を再スタートさせることができるはずだ。

「……あとはあの子の性格だけが問題かー……」

自分で言いながら、私は思わず閉口した。……そこが一番の問題かも知れない。
思春期と言うか反抗期と言うか、すっかり刺々しくなってしまった弟の態度に、遠い昔の幼い日々を思い出して、私は深々と溜息を吐いた。
……姉と言うより母親の心境になってきたことは見なかったことにしたい。

「……姉貴」

そんな風に弟について考えを巡らせていたせいだろうか、当の本人が急に洗面所へ顔を出したときには驚いて返事をする声が裏返ってしまった。

「ど、どうしたの飛雄、ご飯早かったね」
「……その……ありがと、う」

目線は明後日の方をむいているし、口調も憮然としている。決して好意的ではないお礼の言葉。それでも、私にとっては嬉しいものだった。

「……どうってことないよ、このくらい。ちゃんと干しておいてあげるから、早く寝な」
「……わかった。んじゃ」

弟の長身が扉の向こうに消える。私は轟音を立てて働く洗濯機をのぞき込んだ。
たった一言で口元が綻ぶ位機嫌が良くなるんだから、私も大概単純にできているものだ。



おかえりを言わせて





姉と弟と。高校入りたての反抗期飛雄ちゃんを見守り隊。
王様モードといえど姉には逆らえない影山弟なのでした。